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Konpira Onsen — こんぴら温泉郷

こんぴら温泉 琴平花壇

こんぴらおんせん ことひらかだん1627年(寛永4年)旅籠屋「備前屋」として創業

寛永4年(1627年)に金刀比羅宮の参道沿いに旅籠屋として創業し、明治38年に全室離れの料理旅館として開業した宿。回遊式庭園に数寄屋造りの離れが3棟点在し、森鴎外が泊まった「延寿閣」、北原白秋が泊まった「泉亭」、丸亀藩主の茶室を移築した「長生殿」がある。全40室。単純弱放射能冷鉱泉の大浴場と露天、貸切露天2つ、露天風呂付き客室を持つ。

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金刀比羅宮の杜の麓、緑豊かな庭園の中に建つ。「琴平の、花壇に逢いし人は忘れじ」。森鴎外が滞在時に詠んだ一首を、宿は掲げている。

旅籠から離れの宿へ

江戸前期の寛永4年(1627年)、金刀比羅宮の参道沿いに旅籠屋「備前屋」として創業した。明治38年(1905年)、16代目当主の三好源次郎が全室離れの料理旅館「琴平花壇」として開業した。回遊式の和風庭園を囲むように別荘地のごとく離れが点在する光景は優雅なものだったと宿は書いている。参拝に訪れる文人墨客をもてなし、多くの絵師や書画家を逗留させて支援した形跡が残るという。

開業時の明治期には金刀比羅宮参拝のため軍の高官が多く泊まり、海軍中将だった米内光政や陸軍大将の乃木希典の来訪も伝わる。1908年に森鴎外が陸軍省医務局長として衛生事務の視察で3日間泊まり、翌年に短編「金毘羅」を発表した。1931年に与謝野晶子と鉄幹、1935年に北原白秋、1939年に井伏鱒二が泊まった。1953年には高松宮が泊まっている。

三つの離れ

庭園に数寄屋造りの離れが3棟点在する。

「長生殿」は丸亀藩主京極侯の茶室を移築したもので、創設者の三好源次郎が出身地の多度津から移し、1951年にこの地に建った。茶室建築を取り入れた数寄屋造りで、源次郎が集めた美術品が客室に風格を添える。書院造りの客間には三幅対の掛け軸、波打つガラス窓、糸を編んだ飾り房の照明など明治から大正の希少な設えが残ると宿は書く。三国志の「三顧の礼」を描いた襖絵は橋本関雪の作と伝わるが、鑑定で真筆の確証は得られなかったと宿は正直に記している。中学生以上のみ泊まれる。

「延寿閣」は十畳と七畳の和室を広縁で囲んだ離れで、森鴎外がここに泊まり、「金毘羅」の主人公が過ごした部屋の描写に投影された。欄間には大隈重信から「鴉博士」の称号を贈られた長井一禾の鴉の絵が残る。

「泉亭」は北原白秋が滞在した、3棟の中で最も古い数寄屋造り。三和土の玄関、網代柄の廊下、浴室天井の水仙の透かし彫り。今は襖を取り払い、ベッドとソファを置いてホテルのように寛げる。

吉祥の湯と二つの貸切露天

源泉は琴平町智光院温泉で、泉質は単純弱放射能冷鉱泉。にっぽんの温泉100選に選ばれ、美人の湯とも呼ばれると宿は書く。冷鉱泉なので加温して使う。

大浴場「吉祥の湯」は富士見台3階にあり、讃岐平野と阿讃山脈を見渡し、讃岐富士と呼ばれる飯野山を遠望する。北側の露天風呂は琴平山の自然がすぐそばまで迫り、眼下に門前町、夜はライトアップされた竹林が見える。13時から24時と5時から10時。湯上がり処には井伏鱒二らが1939年に泊まった際に残した書き寄せの額装が飾られている。

貸切の温泉露天風呂は2つ。松月テラス3階の「なごみ湯」は石造りの浴槽をテラスに置き、山翠閣2階の「杜の湯」は2019年に開いた御影石の露天で、鎮守の杜の緑が湯面に映る。どちらも45分の有料で、離れと富士見台の和洋特別室の客はなごみ湯が、山翠閣の客は杜の湯が無料になる。当日フロントで申し込む。日帰りでは使えない。

全40室

客室は全40室、最大185名。数寄屋造りの離れ3棟、2018年に改装した富士見台(和室、和洋特別室、露天風呂付き客室)、東側に面した洋室の松月テラス、2019年にグランドリニューアルして温泉露天風呂付き客室ができた山翠閣がある。山翠閣の露天風呂付き客室は2023年に増室された。

着くまで

JR琴平駅か琴電琴平駅から徒歩15分。無料送迎バスがある。車なら高松道の善通寺ICから国道319号で15分。大阪から明石海峡大橋経由で3時間10分、広島から瀬戸大橋経由で2時間40分。道を挟んで宿の少し先に無料駐車場が40台ある。

この宿を選ぶなら

金刀比羅宮の参拝と、文人が泊まった離れを目的にする方に向く。湯は冷鉱泉を加温したもので、湯の力より建物と庭と歴史で選ぶ宿である。離れは3棟しかないので、目当てなら早めに押さえたい。

FAQ

こんぴら温泉 琴平花壇のよくある質問

Q琴平花壇の歴史は?
A

江戸前期の寛永4年(1627年)に金刀比羅宮の参道沿いに旅籠屋「備前屋」として創業し、明治38年(1905年)に16代目当主の三好源次郎が全室離れの料理旅館「琴平花壇」として開業したと宿は案内しています。1908年に森鴎外、1931年に与謝野晶子と鉄幹、1935年に北原白秋、1939年に井伏鱒二が泊まり、宿帳には皇族や華族の名も残ります。

Q琴平花壇の離れとは?
A

庭園に点在する数寄屋造りの離れが3棟あります。「長生殿」は丸亀藩主京極侯の茶室を多度津から移築したもので1951年にこの地に移り、敷地内で最も格式が高いと宿は書いています。「延寿閣」は森鴎外が泊まり、小説「金毘羅」の部屋の描写に投影されました。「泉亭」は北原白秋が滞在した最も古い数寄屋造りです。長生殿は中学生以上のみ泊まれます。

Q琴平花壇の温泉は?
A

源泉は琴平町智光院温泉で、泉質は単純弱放射能冷鉱泉と宿は案内しています。大浴場「吉祥の湯」は13時から24時と5時から10時で、讃岐平野と讃岐富士と呼ばれる飯野山を望み、北側の露天風呂は琴平山の自然が迫ります。貸切の温泉露天風呂が「なごみ湯」と「杜の湯」の2つあり、45分の有料で、離れや山翠閣の客は無料になります。

Q琴平花壇に露天風呂付きの客室はありますか?
A

あります。2019年にグランドリニューアルした山翠閣に温泉露天風呂付き客室ができ、2023年に増室したと宿は案内しています。富士見台にも露天風呂付き客室があります。客室は全40室、最大185名です。

Q琴平花壇へのアクセスは?
A

JR琴平駅か琴電琴平駅から徒歩15分で、無料送迎バスがあると宿は案内しています。車なら高松道の善通寺ICから国道319号で15分、大阪から明石海峡大橋経由で3時間10分、広島から瀬戸大橋経由で2時間40分。無料駐車場が40台あります。

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露天風呂貸切風呂露天風呂付き客室日帰り入浴あり

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