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温泉地の景色は、放っておいてそうなったわけではありません。
どの町にも、ある時点で誰かが下した判断があります。その判断が違えば、今見えているものも違っていました。
宿の内湯を小さく作った町
城崎温泉には七つの外湯があります。
この街は「街全体が一つの宿」という考え方をとってきました。宿の内湯を小さく作り、そのぶん外湯に投資する。客が街へ出るように仕向けることで、通りに人が流れ、店が成り立ちます。
個々の宿が大浴場を競う道を選ばなかった。その結果が、浴衣と下駄で歩く今の街並みです。
宿泊者は「ゆめぱ」で外湯が無料になります。仕組みそのものが、外へ出ることを前提に作られています。
住民が湯を管理する村
野沢温泉には十三の外湯があり、そのすべてが無料です。
管理しているのは地区の住民です。「湯仲間」と呼ばれる仕組みが江戸期から続いており、掃除も湯の管理も住民が担ってきました。
観光のために作られた無料ではありません。共同浴場という仕組みが、そのまま残っているだけです。だからこそ、洗い場の設備は簡素で、石鹸が使えない湯もあります。維持のための賽銭箱が置かれています。
村の中心には麻釜があります。高温の湯が湧き出す源泉地で、地元の方が野菜や卵を茹でるのに使ってきました。湯が観光資源になる前から、ここでは暮らしの道具でした。
一軒の宿から始まった合意
黒川温泉の街並みは、意図して作られたものです。
かつては目立たない温泉地でした。転機は、一軒の宿の主人が岩を削って露天風呂を作り、周囲に雑木を植えたことにあります。
その考え方が他の宿にも広がり、やがて温泉街全体の合意になりました。看板を統一し、余計な色を減らし、コンクリートを木と石で覆い、雑木を植える。個々の宿が自分の建物だけを飾るのではなく、通りから見える全体を整える。
入湯手形はこの思想を最もよく表しています。一枚で加盟旅館の露天風呂を三か所まで回れるので、客は必然的に街を歩きます。宿が客を囲い込まず、街全体で分け合う仕組みです。
大型化しないと決めた町
由布院は、大型ホテルが林立する温泉地とは対照的な発展をしてきました。
歓楽街をつくらず、田園風景と小規模な宿を残す方向に町ぐるみで舵を切りました。源泉数は別府に次いで全国2位でありながら、それを大規模施設に集約せず、宿ごとに引いています。
湯量があれば大きくできた。それをしなかったという判断が、今の景色を作っています。
湯に暮らしが合わせた町
湯村温泉では、町の中心に98度の湯が噴き出しています。荒湯といいます。
熱すぎて入れません。だから使い道のほうが変わりました。荒湯の周りには湯壺が設けられ、そこで卵や野菜を茹でます。生卵は近くの店で買えます。
観光のために作られた設備ではありません。湯が熱いという条件に、暮らしのほうが合わせた結果です。
町を作り変えた例が多いなかで、ここは湯のほうを変えずに人が合わせています。
川沿いを作り直した町
長門湯本温泉は、近年になって姿が変わりました。
2016年頃から音信川沿いの景観を整える取り組みが進み、川床が設けられ、遊歩道が通り、建物の意匠が揃えられました。
温泉街の再生はどこでも語られますが、実際に景色が変わるところまで進んだ例は多くありません。訪れる時期によって印象が違うのはこのためです。
作り直せないから残った町
銀山温泉は、逆の例です。
川の両岸に大正から昭和初期の木造旅館が並んでいます。三層四層に積み上げられた木造建築は、現在の建築基準では新しく建てることができません。
保存しようという意思が先にあったというより、建て替える機会を逸したまま残った側面があります。同じものを作り直せないという事実が、この街並みの価値を決めています。
何を見に行くのか
これらの町では、宿の設備よりも通りの景色が主題になります。
宿に籠って過ごすつもりで行くと、その町が積み上げてきたものに触れないまま帰ることになります。浴衣で外に出る、外湯を回る、通りを歩く。そういう時間を旅程に入れておく価値があります。
逆に、静かに部屋で過ごしたいなら、これらの町は向いていません。町へ出ることを前提に設計されているからです。









