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古い建物を見学できる場所は多くあります。泊まれる場所は多くありません。
温泉宿には、国の登録有形文化財や重要文化財になった建物を、今も客室や浴場として使い続けている例があります。保存された建物ではなく、床が鳴り、階段が急なまま、そこで夜を過ごせる宿です。
登録と指定は違う
宿が掲げる「文化財」には二つの種類があります。
一つは国の登録有形文化財。建てられてからおおむね50年を経た建物のうち、歴史的な景観に寄与するものなどを国が登録する制度で、1996年に始まりました。所有者が使い続けることを前提にしており、旅館の登録が多いのはこのためです。
もう一つは指定文化財。国や県が指定する重要文化財で、登録より数がはるかに少なく、改変への制約も強くなります。箱根湯本の萬翠楼福住は、旅館の建物として国の重要文化財に指定された数少ない宿で、明治期の擬洋風建築が今も客室として使われています。四万温泉の積善館の本館は元禄4年(1691年)の建築とされ、現存する日本最古級の温泉宿建築として群馬県の重要文化財に指定されています。
同じ「文化財」でも、どちらなのかで建物の格と古さがまるで違います。宿の案内でどちらを名乗っているかを見てください。
何棟が文化財なのか
「登録有形文化財の宿」という看板は、建物の全部を指すとは限りません。
修善寺温泉の新井旅館は十五棟が登録されており、この規模で登録された旅館は全国でも珍しい例です。渋温泉の金具屋は昭和11年築の木造四階建て「斉月楼」と大広間が登録されています。粟津温泉の法師は離れの「延命閣」と「新春の館」が登録で、本館は別です。伊豆長岡温泉の三養荘は本館が2017年に登録されました。湯田中温泉のよろづやは客室ではなく大浴場「桃山風呂」が登録された例で、昭和28年に完成した純木造伽藍建築の浴場に泊まって入ります。法師温泉の長寿館も、明治8年築の本館と昭和15年築の別館に加えて、明治28年築の大浴場「法師乃湯」そのものが登録されています。
つまり、文化財の建物に泊まりたいなら、どの棟のどの部屋がそれにあたるかを予約の時点で確かめる必要があります。新しい棟の部屋を取って、食事のときだけ古い建物を通る、という結果になることは普通にあります。
いつ建ち、いつ登録されたか
宿が自ら年を書いている例を挙げます。
- 龍神温泉の上御殿は明暦3年(1657年)、紀州藩主徳川頼宣の湯治のために建てられ、1999年に登録
- 人吉温泉の芳野旅館は居間棟が明治21年(1888年)、別広間棟が大正2年、本館が昭和6年の建築で、2013年に登録
- 大鰐温泉のヤマニ仙遊館は明治5年(1872年)創業で、現在の本館は明治30年(1897年)築
- 銀山温泉の能登屋旅館は大正10年(1921年)築の本館
- 奥津温泉の奥津荘は昭和2年(1927年)築、2018年に登録
- 下呂温泉の湯之島館は昭和6年(1931年)開業、2010年に本館の一部が登録
- 雲仙温泉の雲仙観光ホテルは昭和10年(1935年)開業、2003年に登録
- 松之山温泉の凌雲閣は昭和13年(1938年)築の木造三階建て、2005年に登録
- 宮ノ下温泉の富士屋ホテルは本館が明治24年(1891年)、西洋館が明治39年、花御殿が昭和11年の建築で、三棟が登録
- 川棚温泉の玉椿旅館は大正12年(1923年)に力士が創業し、増築を重ねた建物のほぼ全体が2013年に登録
- 岩室温泉の高志の宿高島屋は江戸時代の庄屋屋敷を活かし、百年近い土蔵が2004年に登録
- 小谷温泉の山田旅館は江戸時代建築の本館をはじめ木造6棟が登録され、江戸、明治、大正、平成の建物が軒を連ねる
- 板室温泉の加登屋旅館は大正8年(1919年)築と伝わる木造三階建ての本館と別館、悠仙閣が2016年に登録。昭和53年の大火を免れた建物
- 田沢温泉のますや旅館は明治期の建築と推定される木造四階建ての高楼が登録。前身は江戸以前から続く庄屋で、島崎藤村が逗留した部屋を当時のまま残す
- 強首温泉の樅峰苑は大正6年(1917年)築の大庄屋・小山田家の邸宅で、母屋全体が1999年に登録。千鳥破風と唐破風の玄関、16メートルの秋田杉の一枚板の廊下
- 福地温泉の草円は1836年に飛騨清見村に建てられた旧二村家を平成16年に母屋として移築。国の登録有形文化財と宿は書き、客室棟は新潟の豪農屋敷を移した
江戸初期から昭和初期まで、三百年近い幅があります。「古い建物」と一括りにせず、どの時代の建物に泊まるのかを知っておくと、見えるものが変わります。
泊まる前に知っておく設備のこと
文化財の建物は、現代のホテルの前提で建っていません。宿自身がそれを正直に書いている例が多いので、そこを読んでから予約したいところです。
階段。金具屋は「廊下を歩けば床が鳴り、階段は急」という建物です。蔵王温泉の高見屋はエレベーターがないと宿が明記しています。積善館は棟の間がトンネルと階段でつながっています。足腰に不安がある方、大きな荷物がある方は、部屋の位置を宿に相談してください。
空調。凌雲閣は冬季の客室にコタツと石油ファンヒーターを入れると案内しています。城崎温泉の西村屋本館は2026年夏の改装で全館に個別空調を入れたと述べています。同じ古い建物でも、設備の更新がどこまで進んでいるかは宿によって違います。
音と隙間。木造の建物は隣室の音が伝わり、冬は窓辺が冷えます。それを承知で泊まる建物です。
年齢の制限。奥津荘は大人だけを受け入れる宿として営業しています。西村屋本館は2024年4月から10歳以上に限ると案内しています。建物を静かに使うための線引きで、子ども連れなら先に確かめてください。
誰が泊まったか
文化財の宿には、文人や画家の滞在が記録として残っているものが多くあります。
湯河原温泉の伊藤屋は夏目漱石が最後の療養に滞在した宿です。ヤマニ仙遊館は太宰治が静養し、『人間失格』にも登場すると宿は掲げています。新井旅館には日本画家たちが滞在しました。飯坂温泉のなかむらや旅館は明治期の木造建築で、飯坂の高温の湯を当時の建物で使えます。
こうした逸話は宿の看板になっていますが、部屋が当時のまま残っているか、見学できるか、泊まれるかは宿ごとに違います。看板と実際の扱いを分けて確かめるのが確実です。
建物と湯は別の話
文化財の宿を選ぶとき、建物に目が行って湯を見落とすことがあります。
鉛温泉の藤三旅館は、立ったまま入る深さ1.25メートルの「白猿の湯」があり、館内4浴場のすべてを源泉かけ流しと宿は述べています。東山温泉の向瀧は会津藩の保養所だった建物を引き継ぎ、全浴槽を源泉かけ流しと掲げています。奥津荘は毎分247リットルの湯が浴槽の足元から湧き、加水も加温も循環もしないと明記しています。
一方で、建物は古くても湯の使い方は宿によって違います。建物の年代と湯の扱いは別の項目として確かめてください。
泊まり方
文化財の宿は、着いてすぐ湯に入って翌朝出る、という使い方では建物を見ないまま終わります。
明るいうちに着いて、廊下と階段を歩く。夕食のあと、灯りの入った館内をもう一度歩く。朝、光の入る窓辺を見る。同じ建物が時間で違う顔をします。
保存された建物なら、開館時間に見て回るだけです。使われている建物は、使う側になって初めて分かることがあります。それが、泊まれる文化財の値打ちです。





























